先生と私

大学時代の恩師、井上先生と桜を見ました。

井上先生は、この方がいなかったら、いま私は存在していなかったかもしれないと言えるくらいお世話になった人なのです。
前回お会いしたのは、家を建てた頃遊びに来ていただ時なので、かれこれ3年ぶり。
天気は晴天、桜は満開のとても良い日でした。


前々から赴きたかった先生のオフィスにお誘いいただき、家族でお邪魔しました。
先生のオフィスは、窓から川沿いの満開の桜を眺めることができ、とても素敵な立地でした。


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むすめを抱っこしてもらってます。


綺麗なテーブルセットと、お弁当のほかにさまざま料理も用意していただき(おもてなしに圧倒され写真を撮るのを失念)、いろいろお話しできました。
先生は全く変わっておらず、いまでも好奇心のかたまりでした。わたしの理想の女性像です。


むすめの名前は「ゆい」なのですが、実は間接的に先生が名付け親でもあります。
結婚前にいまの旦那氏と三人で食事した際、クリニックの名前の由来の話から(2011年8月30日の記事にちょろっと書いてた)
「あんたら、子ども生まれたら「ゆい」にしたらええやん!」と言われまして。
わたしの拙い文章で書くとだいぶ軽く聞こえますが、「ゆい」についてたくさん語っていただいた流れのなかなのです。
我ら夫婦はそのエピソードがずっと胸のなかに残っていて、むすめ妊娠中に女の子だと判明してすぐ、その名前にしようと決めたのでした。


自分語りになりますが、母親であるわたしは、人との縁が薄いのか、長く付き合う友人というものがおらず、それでずっと悩んでいるものでした。
同じグループ(まさに女子校的ですが、他に適当な言い方が無かった)の集まりに声がかからず後でその催しを知ったり、
またある時は、自分から相手から問わず会う話が出ても、日程を決める段階で連絡がこなかったりなんてことも。
他にもこんなことが多々ありまして。
同時期くらいに、信頼してた人に裏切られ、どうせわたしの周りからみんないなくなるんだとか考えたこともあったり。
ノミメンタルなわたしはそんな自分に疲れてしまって、連絡先を消したり、メアドを変えて伝えなかったり、と周りから距離を置いたのです。

そうしているうち二人目が生まれ、数ヶ月がすぎた頃。
連日の夜泣きでフラフラの体と睡眠不足でよく回らない頭で、ギャン泣きするむすめを閉めきった部屋であやしている時、ものすごい孤独感が自分を襲ってきたのでした。
その時の恐怖といったら、言葉にできないくらい。そのまま泣き止まないむすめと一緒に号泣。
たぶんいろいろナーバスにっていたんだなぁと、今になって思えます。

そこからはSNSを始めてみたり、友人に連絡をとってみたりしてます。
なかには「なに、今さら」のようなリアクションの人もいたりして、正直悲しいな、と思うこともあります。
それでも、自分が選んだ道の結果だから、仕方ないのです。

また、これまで児童虐待の対応や、独学の保育士試験、乳飲み子抱えながらの公務員試験に、仕事家事育児の合間をぬった自動車免許取得などなど頑張ってきたことはたくさんあります。
そいういことをシェアしていればもっと気持ちは楽だったのかな。
と、潜っていたこの数年間、本当にとってももったいなかったと思えます。

むすめにはわたしを反面教師にして、名前のとおり結び付きや助け合いを大事に育ってほしいと願うばかりです。


むすこは先生にとっても懐いてくれましたが、「おばあちゃん(先生のこと)とお風呂にはいる」と言った時にはもう、畏れ多くて気が気ではなかったです(笑)

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手を繋いで歩くふたり。


先生には上記の話だけでなく、その他にもたくさんいろんな話を聞いていただきました。
いつもわたしばかり聞いてもらって申し訳ないです。
心のデトックスになりました☺


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また会いましょう